2006年6月27日

ハオコゼの恐怖

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 小田原の堤防で小物釣りをしていた時のこと。キス釣りの予定だったが、まず最初に仲間の竿に掛かったのは、数センチの赤い小魚。ハオコゼだ。「これは絶対に素手で触っちゃだめだ。鰭に毒があって、刺されるとたいへんなことになる。」素人には危険なので、慣れている私が針をはずしてあげることにした。足で踏んずけて魚体を固定し、針だけを持ってフックオフ。まあ、手馴れたものだ。「次は、キスを釣ってね。」ところがこの日はどうしたものか、次から次へとハオコゼばかりが釣れる。3人の仲間はいずれも素人釣師で、私はハオコゼの針はずし係として大忙し。自分が釣りをする暇もないほどだ。

 私のミスは、ハオコゼの針はずし10匹目くらいの時だった。釣り上げられたハオコゼは、暴れることなくじっとしている。次第に敵を甘く見始めていたそのころ、足で固定せず、針だけを持ってはずそうとした。その時だった。やつは、突然跳ねた。「ん!」私の左手の中指の先に、僅かに接触した感覚が。見ると、針の先ほどの傷がある。もしや。中指を強く握ると僅かに出血する。まずい。やつの背鰭の棘が、指先を直撃したようだ。慌てた私は中指を咥え、必死に血を吸い出そうとした。が、次第に激痛が指先を襲う。私はもう、釣りどころではなかった。5分後には、痛みは手首まで来た。10分後には、肘まで。20分後、肩まで激痛が走る。油汗たらり。「大丈夫か」と仲間は声をかけてくれるが、大好きな釣りを止めてうずくまり、「ううん、ううん」と唸っている私が、大丈夫なわけないだろう。「病院へ行った方がいいんじゃないか?」とも言われたが、仲間に気を遣って「大丈夫」と強がりを言っていた。本当は、痛みが肩を越えたら病院に行こうと思っていた。心臓まで来たら、やばいもの。

 本当に苦しかった。痛かった。3時間ほどしてやっと痛みが和らぎ帰ることにしたが、左手は感覚がなく、車の運転は片手運転を余儀なくされた。左手の中指は親指ほどの太さに変身し、感覚が完全に戻るまでは一週間を要した。

 ああ、ハオコゼって、ほんとに怖いのねー。今度釣れたら、誰か針はずしてー!

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2006年6月16日

養殖ハマチ

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 出世魚、ブリ。最初にその呼び名について整理しておこう。稚魚は一般にモジャコと呼ばれるが、15センチ級になると関東ではワカシ、関西ではワカナと呼ばれる。3040センチ級が関東でイナダ、関西でツバス。60センチ級が関東でワラサ、関西でハマチ。90センチ級はどちらもブリ。ところが西日本で養殖されたハマチが関東に大量に出回るようになってから、関東でもハマチという名前がいつしか一番有名になってしまった。東京のすし屋などでは養殖物をハマチと呼び、天然物をイナダ、ワラサと呼んだりするから、話はますますややこしくなる。混乱を避けるため、ここではすべてブリと呼ぶことにしよう。

 ブリは本来、美味しい魚だ。油の乗った刺身や照り焼きは、絶品。その上、体にもいい。中性脂肪を下げる働きがあるEPAを、もっとも多く含む。DHAは、ボケ防止にも。さあ、みんなでブリを食べよう。

 釣り人は、皆言う。「やっぱり天然物は最高だ」と。まあ、誰でも自分が釣った魚は美味しく感じるようではあるが。さて、本当のところはどうだろうか?ある行きつけのすし屋で、大将が悩みを打ち明けてくれた。「うちは昔から、必ず天然物しか仕入れてないけど、最近養殖の方がうまいってお客さんに言われて、どうしようか迷ってるんです。」刺身が二切れずつ差し出され、「どっちがうまいか、食べ比べてみませんか?」と。一口食べて、その違いは歴然だった。私が「左の方がうまい。」と言うとその大将、がっかりしたような顔をして、「やっぱりそうですか。それ、養殖物なんですよね。」と淋しそうにうなだれた。「仕入れ値は天然物の方がはるかに高いのに、安い養殖物の方がうまいなんて。」その後そのすし屋の仕入れは、養殖物に切り替わった。最新の養殖技術の向上には、目を見張るものがある。ただ単に生産効率のことを考えるだけでなく、美味い魚を作ろうと、餌の配合を始め、運動量、水温、水質など、あらゆる研究が進んでいる。年々、確実に養殖物は美味くなっているのだ。そしてついに、養殖物は天然物を越えたのだろうか?

 美味いブリになる条件が、仮に餌にあったとしよう。エビを食べて育つと美味くなるとすれば、養殖ではエビばかり与えればよいことになる。したがって、最高のものを100点とすれば、ムラなく90点のブリは作れる。それに対し天然のブリは、様々なものを食べている。時としてクルマエビばかりを食べて育った120点という奇跡的なブリも出現する反面、大半の天然ブリは5060点といったところか。なぜなら大半のブリは、いつもエビ類に出会えるわけではなく、飢えを凌ぐためにイワシもイカも食べて育つからだ。

 かくして、結果的に養殖物は天然物を越えたのだ。まあ、常に天然物を味わえる釣り人としては残念な気もするのだけれど。

(写真は、東京湾で釣れたイナダ。もちろん、天然物。)

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2006年6月11日

釣れない釣師のボヤキ節

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 「アブレ」、「ボウズ」、「オデコ」。なんと悲しい響きだろうか。あまりにも悲しすぎる言葉のため、最近は婉曲的に「玉砕」とか「撃沈」とか表現する人も少なくない。が、いずれにしても結果は同じ。魚を釣りに行ったのだから、釣れなければ釣りではない。
 1本でも釣れれば釣れたことに変わりはないのだが、ゼロとイチの差は果てしなく大きい。特に遠征釣りの場合は、期待が大きいだけにそのショックの大きさも倍加する。本来、遠征釣りの宿での仲間との夕食は、その日の釣り談義に花が咲き、大物を仕留めた釣師は特別に美酒に酔いしれる。ところが、一人でもアブレの人がいると、今ひとつ盛り上がらない。釣れない釣師があまりにも哀れであることを、釣れた釣師もよく知っているからだ。遠征釣りの場合、高価な大物用タックルを買い揃え、高い旅行費用をかけ、仕事を休んで会社に迷惑をかけ、時には妻から後ろ指をさされてまでして来た釣り場だ。それで結果が報われなければ、あまりにも悲しすぎる。
 嗚呼、今日も釣れない釣師のボヤキ節が、どこか遠くから聞こえてくるような気がする。しかし、それでも行くのだ。神を信じ、いつか大物が釣れすぎて、笑いが止まらない日を夢見て。
(写真は、巨大魚を夢見、意気揚々と出港する、与那国島、太郎丸。)

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2005年9月25日

キャッチ&リリース GT編

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 「な、なんてことするんだ!」大きな叫び声を上げたのは、マレーシア、ペナン島のガイド船の助手。徳永兼三氏が、釣り上げた20キロ弱のGTをごく当たり前のようにリリースした瞬間だった。大騒ぎする彼にキャッチ&リリースの意義をなんとか説明しようと試みるのだが、彼らにはどうしても理解できないらしい。
 釣り人が釣った魚をすべてキープすれば、どんなに素晴らしいポイントでもあっと言う間に場荒れが進む。特にGTのような魚はそれが顕著で、かつてのフィッシングパラダイスが数年で釣れないポイントになってしまった例はいくつもある。徳永氏はそれを誰よりもよく知っているし、キャッチ&リリースの有効性を彼らにも理解してほしかった。GTがいなくなれば当然釣り客は来なくなり、ガイド船の商売も成り立たなくなる。したがって彼らのビジネスのためにも、釣り客にキャッチ&リリースを奨励すべきだ。
 ところが、現実はそう単純ではない。当地では釣り客自身が持ち帰る魚以外は、すべてキャプテンへのチップとなる。キャプテンはその魚を売って、大きな収入を得る。中でもGTは美味な魚として高く売れるようで、その大物となれば札束にしか見えない。彼らにとって我々のキャッチ&リリースは、まさに札束を海に捨てているとしか思えず、「日本人はクレージーだ」ということになる。ガイド船の今後のビジネスのためにという観点で彼らに理解させようと試みるが、後にこれも不可能だということが分かる。ホワイトロックという好ポイントには多数の漁師が押しかけ、網を引いてGTを根こそぎ持っていく。マレーシア領だが、タイから来ている職漁船も見た。多国籍の船が入り乱れ、われ先にと泳ぐ札束を捕獲している光景を見た時、どうして「おまえだけはGTを逃がせ」と言えるだろうか。キャッチ&リリースへの道のりは、遠い。
(写真は、ホワイトロックの周りで網を引く怪しい漁船。多数のGTが、あっという間に捕獲されていく。)

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2005年9月19日

釣り人のこだわり

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 私は割に魚種にはこだわらない方だが、こだわっているのはルア-で釣るということだ。ルア-ならば何でも良く、ボラ、マルタ、ニゴイ等のファイトもなかなか捨て難い。
 一般的に魚の価値は、その旨さと外見で決まる。確かにマダイ、ヒラメ、カンパチなどは食べて美味いし、外見も美しい。しかし、釣りの対象魚としての評価はそれだけではない。そうでなければ、「魚釣り」ではなく、「肴釣り」と書くべきである。
 GT好きの釣人はひたすらGTを狙い、バラフエダイがヒットするとがっかりする。なぜそれほど、GTにこだわるのか?引きの強さなら、マグロの方が上だ。持久力なら、サメだろう。トップで釣りたいのなら、シイラがいる。対象魚にこだわることに、果たしてどれだけの意味があるのだろうか?
 とは言え、初めてカジキを釣った時は、さすがに私も興奮した。30分のファイトの後、タグアンドリリ-スするも、足の震えが止まらない。デッキの上で大海原を見つめながら、しばしヘミングウェイ気取り。つくづく「釣りっていいなぁ」と思ったものである。「そうだ、この感動は子供の時に初めて釣ったハゼへの熱き思いと同じではないか。」
魚の価値は他人が決めるものではなく、一人一人のこだわりや思い入れによって決まるものなのである。
(写真は、モルジブのGTフィッシングで小魚のフィッシュボールを探す現地人ガイド。)

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2005年6月18日

魚釣り文化論

Parao

 近年、とても盛んなルアーフィッシング。魚釣りを漁ではなく、ゲームフィッシングとして新しい文化に育て上げたその功績はまことに大きい。しかしながら、ブラックバスのキャッチアンドリリース禁止条例など、一般社会では文化としての市民権はないに等しく、身勝手な遊びとしてでしかとらえられていない。まるで釣人が環境破壊の根源であるかのような報道を目にする時、私はいつも心が痛む。そうではない。釣人は、みんなナチュラリストだ。青い海、青い空、大自然の中で生き物たちと一緒に暮らしたい。そしていつまでも、その環境を保っていたい。魚とのコミュニケーションは、大自然を愛する証なのだから。

(写真は、パラオでシャローリーフフィッシングをする釣友)

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